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第3話 底辺工房と呼ばれて、怒れなかった

last update Last Updated: 2026-01-25 15:12:08

 その日を境に、黒崎からの連絡は途絶えた。

 不思議ではなかった。

 理由を考えるほどのことでもない。

 ……そう思おうとした。

 自分からかけることはなかった。

 かけていい理由が、もう見つからなかったからだ。

 それから数ヶ月後。

 帰りの電車で、私はスマートフォンを眺めていた。

 何気なくスクロールしていた指が、止まる。

【《ルクソリア》、伝説のライン《AURORA(アウローラ)》復活プロジェクト始動】

 ——アウローラ。

 母の工房が胸の奥に浮かんだ。

 年代物のミシンと、布の匂い。

 薄暗い部屋の奥に、ひとつだけ空気の違う場所があった。

 古いトルソー。

 埃をかぶらないよう、白い布が丁寧に掛けられている。

 まるで、触れてはいけないものを守っているみたいだった。

 その下に、一着のドレスがある。

 工房の中なのに、そこだけ光の落ち方が違った。

 ——王宮みたいだ、と、子どもの頃の私は思った。

「ねえ、澪」

 トルソーの前で、母は少し照れたように笑った。

「これね、人生を変えるドレスなのよ」

「……なんで、お母さんが?」

 首を傾げる私に、母は布の端を指先でなぞりながら言った。

「私は、華やかな世界に立つ人じゃないから」

 穏やかな声だった。

「でもね、あの世界は、こういう人間が作ってるの」

 ミシンの音。

 積まれた布。

 母は工房を一度見渡してから、もう一度トルソーを見る。

「表に出る人じゃなくても、誰かの人生を変えるものは、作れるのよ」

 少しだけ誇らしそうに。

「素敵でしょう?」

 私は答えず、ただ頷いた。

「——私も、アウローラを作る」

 あのときの言葉は、叶わない憧れになって、それでも消えることはなかった。

 スマートフォンの画面に戻る。

 《アウローラ》復活。

 記事の文字が、わずかに滲んで見える。

(……まだ、終わってなかったんだ)

 期待より先に、警戒が立つ。

(羨ましい。でも)

(私とは、違う世界)

 そう思って次のページを開いた瞬間、指先が止まった。

【《ルクソリア》若手デザイナー・成瀬美玲、社内アワード受賞】

【《アウローラ》デザイナー候補に】

 画面いっぱいに、ドレスの写真が広がる。

 呼吸が、浅くなる。

 切り替え。

 影の落ち方。

 歩いたときの揺れ。

 ——見覚えがあった。

 自分が引いた線だ。

 頭が、うまく回らない。

(……あのときの)

(私が、描いた)

 記事の下に、短いインタビューが載っている。

「このデザインは、光をどう扱うかを意識しました」

 私は、スマートフォンを握りしめた。

 駅に着く。

 人波の中で、立ち止まる。

 迷った。

 それでも、黒崎の名前を選んだ。

 呼び出し音。

 出ない。

 もう一度。

 出ない。

 その夜も、翌朝も。

 メッセージは既読にならなかった。

 ——想定内だ、と自分に言い聞かせる。

 それでも、私は会社の前まで行った。

 《ルクソリア・ワークス》。

 ガラス張りのロビーは、相変わらず、遠い世界だった。

 受付で名前を告げると、少しして、黒崎が現れる。

 スーツ姿。

 以前より、距離がはっきりして見えた。

 ――こんなにも。

 当然のように、見下ろされている。

「……久しぶり」

 必死に、平静を装った。

「ああ」

 黒崎は、鼻で笑うような息を吐いた。

「……あの、ドレスのこと」

 眉が、わずかに動く。

 ――面白がっている。

 胸の奥で、怒りがじわりと滲んだ。

「私のなのに……

 違う人が……」

 黒崎は一瞬だけ目を細め、

 それから、口の端を歪めた。

「私の?

 はっ……なんでそう思うの?」

「……私が、描いて」

「それを示すものは?」

 淡々とした声。

 でも、楽しんでいる。

 言葉を探している間に、理解してしまう。

 スケッチブックは、もうない。

 記録も、何も残っていない。

 私のだと言えるものは、何ひとつ、なかった。

 黒崎は、左手の指輪を指先で軽く回しながら言った。

「もう、連絡しないで。

 迷惑だから」

 意味が、すぐには追いつかない。

「……え?」

「……わからない?

 相変わらず、鈍いな」

 それから、平然と続けた。

「結婚するんだよ」

 指輪を、見せびらかすように光にかざす。

「ちゃんとした相手とね。

 底辺の個人工房じゃなくてさ。

 ――君みたいな」

 胸が、軋む。

「底辺って……」

「君とは」

 黒崎は、はっきり、ゆっくり言った。

「そういう関係じゃなかっただろ。

 勘違いされると困るんだよね。

 最初からただの便利な女だっただけだろ?」

 事実だけを並べられると、言い返せなかった。

 最初は、恋人だと思っていた。

 でも、すぐに分かった。

 そういう扱いじゃない。

 それでも、受け入れてしまっていた。

 黒崎は、小さく肩をすくめて笑う。

 嘲笑。

「仕事も、生活も。

 同じ世界にいないんだよ。

 面倒なんだ。

 ――お前みたいなのが、僕の名前を騒がせると」

 それで、終わりだった。

 黒崎は、そのまま中へ戻っていく。

 ガラスの向こうで、人の流れに溶ける背中。

 ――振り返りもしない。

 興味すら、ない。

 私は、その場に立ち尽くした。

(もっと怒りたい)

 そう思ったときには、もう遅かった。

(……今さらか)

 夕暮れのガラスに映る自分は、思ったより、小さかった。

 よれた服。

 力の抜けた肩。

「仕事も、生活も」という言葉が、遅れて、効いてくる。

 それでも。

 あのドレスは、確かに、私のものだった。

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